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本願寺小樽別院は京都西本願寺の別院です。

TEL. 0134-22-0744

〒047-0017 北海道小樽市若松1丁目4号17番

法話(仏教のお話)NEWS&FAQ

報恩講講師のご法話

                   東海教区 桑名組 聞光寺  大 竹 章 和  師

阿弥陀様という仏様は、私たちのことを誰よりも何よりも大事に思ってくださって心配してくださっています。しかし、私は阿弥陀様に「阿弥陀様どうかこの私のことを心配し大事に想ってください。」と、お願いをさせて頂いた訳ではありません。阿弥陀様は私の姿をご覧になられて心配せずにはおれんとお思いくださったのです。  
この阿弥陀様の御心を改めて味あわせて頂いた出来事がありました。
 私には今九か月になる娘がいます。この娘とその母親。連れ合いでありますけれど、この二人の姿から味あわせてもらいました。今のところ連れ合いは自分のことよりも、まず娘のことを最優先に考えて行動しています。ですから、食事を摂っていても自分の用事をしていても娘が泣けばそっちに行きます。娘が昼寝をしている時は十分おきくらいに様子を見に行きます。ちゃんと寝ているか、変な体勢で寝てないかな。お風呂に入るときや朝起きたときなんかも体を確認します。私はそこまでしなくても良いと思うのです。ですから、その旨伝えたら「そうかもしれないけれど、私たちの大事な子供じゃない。だから、心配なんよ。心配やからこうせずにはおれんのよ。」と言われました。娘はまだ自分の気持ちを言葉で伝えることはできません。だから母親に「私のこと大事にして。心配して。」とは頼んでいないのです。けれども、母親のほうはほっとけないと行動してくれているんです。
 阿弥陀様は私のことを見抜いてくださっているからこそほっておくことはできないと思いくださったのです。それは、この命という事を見抜いてくださったからです。私たちは普段あまり気にも留めていないこの命の行く末という事。死んだらどうなるのか。何処へ行くのか。終りなのか。この事に対して残念ながら私たちの力では答えを見出すことはできません。阿弥陀様はこの命に対して「あなたのその命は死んだら終りの命ではありませんよ。悟りの国。浄土へ生まれて仏となる命なのですよ。必ずこの阿弥陀があなたを仏にします。」とおはたらきくださっているのです。だからこそ、私が死んでからではなくて、今ここで阿弥陀様はご一緒くださっているのです。





輪番年頭法話

                       本願寺小樽別院輪番  芝 原 文 雄  師

 謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
 門信徒の皆様にはお念仏の中に新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。
 昨年は京都の西本願寺において第二十五代専如ご門主の「伝灯奉告法要」が十期八十日間に亘り厳粛かつ盛大にお勤まりになりました。ご法要の円成はみ教えでつながる別院門信徒、国内外すべての皆様のご協力のおかげであります。改めて感謝申し上げます。
 宗門は、来たる二〇二三年(平成三十五)年に親鸞聖人ご誕生八五〇年、翌年には立教開宗八〇〇年という記念すべき年をお迎えします。このたびの伝灯奉告法要を機縁として更なる宗門の未来を切り拓くべく、「宗門総合振興計画」の諸施策が推進されていきます。小職は宗務の基本方針と本計画の各項目を指針として、別院活性化のため寺務の充実に努めてまいりたく存じます。
 さて、過日坊守から友人の闘病生活について話を聞きました。入院検査後に「脳腫瘍」ですという突然の癌宣告、治療中の最中にご主人もカテーテル手術で同じ病院に入院、なぜ家だけがという思いが起り、心が迷いながらも、今は朝起きると今日も目があいて、生きていることが有り難い、いつどうなるかわからない人生、半身不随にならずとも動ける体に感謝、頑張らずゆっくり進みます、と坊守にラインが送信されてきました。「長く生きることの出来る私が死ぬのではなく」、「必ず死すべき私が今生かされている」という「いのちの温もり」に出遇わせて頂いたラインでした。新しい年の始まりを「今日一日こそわが一生」と頂き、お念仏と共に精一杯努めさせて頂きましょう。
                                         合 掌





報恩講講師のご法話

                   新潟教区 与板組 隆泉寺  上 戸   聰  師

ここ数年、大変な災害が続いています。地元の新潟も、今年の冬は例年にない豪雪となりました。
毎日毎日、何時間も除雪をする日々が続きました。夕方きれいにしたはずなのに、朝になると埋まっていてがっかりする日々でした。面倒ですが、やらないわけにはいきません。次々に積もる雪と向き合いながら、有名な逸話を思い起こしていました。
釈尊のお弟子に周利槃特(しゅりはんどく)という人がいました。一生懸命に修業に励むものの、お経の一文を覚えることもできませんでした。著しく記憶力が乏しく、ついには自分の名前すら忘れてしまうほどだったそうです。そこで自分の名前を書いて首にかけていました。
余談ですが、名を荷うということから「名荷」となり、「茗荷」という植物が同音であることから、「茗荷」と「物忘れ」が結びついて語られるようになったそうです。
そんな周利槃特に、釈尊は一本のホウキを与え「塵や垢を除かん」と唱え、まわりを浄めることにのみ努めるように勧めました。やがて「汚れが落ちにくいのは、人の心、煩悩も同じだと悟り、ついに仏教の教えを理解して聖者となられた、と伝えられています。
阿弥陀さまは、煩悩という汚れを落とせない私を見抜かれ、「何としてもあなた救わなくてはならない、放っておくことができない」と願ってくださいました。
煩悩はなくすことはできません。しかし、私の姿は阿弥陀さまの救いにあぐらをかいているだけなのかと思うことがあります。親鸞聖人は、煩悩のその身を比叡山で苦悩されました。あぐらをかいて落ち着かれたならば、山を下りられることはなかったでしょう。
苦悩の中から、阿弥陀さまに出遇われ、阿弥陀さまに照らされた親鸞聖人の慶びが、『正信念仏偈』に「煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我」とお示しになられています。
阿弥陀さまが、なぜ私を救わねばならないと願われたのか、そのことを忘れないように、照らされている我が身を振り返りつつ、歩んでまいりたいものです。





輪番年頭法話

                       本願寺小樽別院輪番  芝 原 文 雄  師

謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
門信徒の皆様にはお念仏の中に新年をお迎えのことと存じます。
さて、親鸞聖人が浄土真宗の教えを明らかにされた時代は戦乱や天災地変が相次ぎ、多くの人が世の無常を感じる時代でありました。
現代社会にあっては豊かさを追い求め、人と人との関わりが希薄になり、人々は様々な価値観の違いにより、互いに傷つけ合っています。そこには環境、経済格差、少子高齢化、非戦平和、人権などの人類生存に関わる諸問題があり、その火種は世界中にくすぶっています。
また、国内にあってはたび重なる自然災害の猛威が押し寄せ、被災されている方々の生活は今なお困難な中にあります。こうした山積する課題を自らの課題、苦しみとして真摯に取り組むことが肝要であります。
先の胆振東部地震による停電の中で私達は灯りのない闇を知り、文明が照らす灯りの恩恵を知る時、私達は人生を照らす灯火の存在に気づかねばなりません。そこに親鸞聖人は阿弥陀仏という限りないひかりといのちの仏様を明らかにして下さいました。阿弥陀仏は智慧のひかりによりこの私が自分一人で生きているのではなく、あらゆるものと繋がりあい、生かされているという真実、縁起の世界を見せて下さいます。その時自分さえよければいいという世界が破られ、他の苦しみを共感する慈悲の心が生まれてくるのです。
仏の智慧と慈悲のはたらきにより常に自己中心の心で物事をとらえ、損か得かの生き方から離れられない、そのままの私を知らされます。私たちは仏さまと同じような行いはできませんが、他者の喜びを自らの喜びとし、他者の苦しみを自らの苦しみとするなど、自他共に心豊かに生きることのできる社会の実現に努め、御同朋の社会を目指す運動(実践運動)を本年も進めてまいりましょう。




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